卒業式当日は、おてんとうさまにも恵まれ、素晴らしい日和となりました。
その2では、式辞を掲載いたします。卒業生に送る部分だけの抜粋といたします。
第七十八回 卒業式 式辞(抜粋)
あたたかな春風に頬をくすぐられる素敵な季節となりました。その春風にそっと背を押されているかのような優しさも感じます。朝早く、ひときわ輝いていた明けの明星が、曙色に染まる東の空に消えると、とたんに小鳥たちは、美しく並んでどこかへ出かけていきます。お天道様が、わたしたちのくらしの隅々まで光を届けるころには、小鳥たちは、屋根から木から、色とりどりのランドセルを眺め、黄色い帽子の徽章をのぞいています。
本日、ここに第七十八回卒業式を挙行することができることを、心から嬉しく思います。今朝は、雀やからすも、格別な思いで皆さんの晴れ姿を眺めたことでしょう。卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。
さて、卒業生の皆さんには、「恩」という言葉についてお話をします。「恩」という文字は、原因の因に心と書きますね。因という文字は、布団の上に赤ちゃんが大の字になって寝ている形をしています。赤ちゃんは、多くの支えやはたらきによって、安心して眠っていられるのです。人が人から受ける純粋な愛やめぐみに気づき、おかげさまを知る、その喜びの心こそが「恩」ということです。
先日、家の中でものを整理していたら、10年も前に亡くなった母が昔、私の教え子のために集めた、百枚を超える押し葉になった四つ葉のクローバーが出てきました。また、私の健康を祈って書いた、私には渡されることのなかった手紙が見つかりました。それは私の知らなかった母の心でした。
「恩返し」という言葉があります。しかし、母への「恩」を返すことはもうできません。
「恩」は母ばかりではありません。私はきっと生涯かけても返しきれない星の数ほどの「恩」の上に生きていて、その「恩」のほとんどに今でも気づかずに、知らないで生きています。この蟹江小学校での皆さんとの出逢いも、先生方や地域の皆さんとの出逢いも、すべての出逢いが「恩」なのだと思います。また、これまでの自分には、辛く苦い経験もたくさんありましたが、それすらも実は、「恩」であったかもしれません。
「恩送り」という言葉があります。「恩送り」というのは、受けた「恩」を直接その人へ返すのではなく、他の誰かに送っていくということです。それは「恩のバトンリレー」です。英語では「ペイフォワード」と言われ、一人一人がお互いのボランティア精神でやさしさを受け渡していくことです。あなたからの「恩送り」を受け取った人が、同じように何人もの人々に「恩送り」をしたら・・・、そのあたたかな恩のバトンは、次々と無限の広がりを見せていくでしょう。「恩送り」は「はい、どうぞ」という一方通行のあたたかな風。だから見返りなんて求めることもありません。本当は、遠い未来にすべての「恩」に、120%の「恩返し」ができるのなら、とても素敵なことです。でも、「恩送り」は、「私が一人前になったら返そう」という時を待たずとも、今すぐにでも、どこででも、誰にだってできるものなのです。
「恩送り」は、どんなに小さなことでもよいと思うのです。人に譲ってみる、人に微笑みかけてみる、小さなゴミに手を伸ばしてみる、悩める友達の話に耳を傾けてみる、「おいしかった」と笑顔で伝える、そう、あなたからのあたたかな風は、また次の誰かを温めることでしょう。
もう一つは「ありがとう」というお話です。
修学旅行では、一緒に龍安寺に行きましたね。静かな心で石の庭を鑑賞しましたね。その建物の裏手に「つくばい」という手や口を清める水の入った円形の石があったのを覚えていますか。あの石には、吾唯足知(我ただ足るを知る)という文字が書かれています。不平不満に思うことなく満足する心をもつことの大切さを説いています。
私たちはすでに満ち足りています。そして、大切な人にすでに出逢い、たくさんの「恩」を受けています。そのことに気づこうとすることが大切であるとあの言葉に教えられました。もし、あなたに優しい風が吹いたなら、「ありがとう」の言葉を伝えてほしいと願っています。「ありがとう」は、一番美しい日本の言葉であると思っています。
最後に、卒業生の皆さんが「私だからできること」を見つけ、夢中の日々を送る未来を夢見ています。そう、皆さんの夢は、校長先生の夢です。
卒業生の皆さんの大いなる前途を祝します。これから一人一人が歩む空が、いつも美しく晴れてたらいいなと祈ります。たとえ涙が流れようとも、雨上がりの心に美しい虹がかかるといいなと願います。私たちの合言葉は「前へ」。ひたむきに「前へ」。あなたの最高傑作は、いつも次の作品です。